令和3年度 秋期 システム監査技術者試験 午後Ⅰ 問1 チャットボット導入プロジェクトの企画段階におけるAI特有のリスクと監査
学習ガイド
家庭用品メーカのA社が、コールセンタのオペレータを支援するチャットボットの導入を計画しており、その企画段階で行う監査の問題です。経営層の承認の確かめ方、PoCの計画と実施の監査手続、本番移行工程の問題点、オペレータ教育の不足が問われます。監査チームが想定したリスクとM氏の助言を対応付け、開発概要書の記述に何が足りないかをAIの特性を踏まえて探します。
この記事で押さえる論点
- 経営層によるAI利用の承認プロセスを監査するための具体的な手続を説明できる
- PoC計画書の評価基準・終了基準と、PoC評価書の評価結果を確かめる監査手続を述べられる
- 機械学習モデルの開発工程において学習後の評価を省略することのリスクと問題を説明できる
- オペレータ教育に、AIの特性と結果の利用可否を判断することを含める必要性を述べられる
出題情報
- 出題
- 2021(R3)秋 システム監査技術者 午後I 問1
- 配点
- 50点満点
- 模範解答
- 公表(設問ごとに掲載)
出題趣旨・採点講評(IPA 公表)
AIに関する技術開発が急速に進む中,企業はAIの利活用による便益を増進させるとともに,AIの利活用から生じるリスクを抑制する必要がある。また,AIを導入するに当たって,導入目的や効果の検討,学習と評価,テスト,リスク,コントロールなどを留意する必要がある。
本問では,チャットボット開発の企画段階の監査を題材として,AIのもつ特性,AIを利用したシステムの開発段階におけるリスク及びコントロールを理解し,コントロールの適切性を確認するための監査手続を選択して監査を実施する能力を問う。
問1では,チャットボット開発の企画段階の監査を題材に,AIを利用したシステムの開発におけるリスク及びコントロールを理解し,コントロールの適切性を確認するための監査手続について出題した。全体として正答率は平均的であった。
問題本文
問1 チャットボット開発の企画段階における監査に関する次の記述を読んで,設問1〜4に答えよ。
A社は,家庭用品を製造・販売している企業であり,顧客からの問合せに対応するためのコールセンタを自社で運用している。コールセンタでは,問合せ集中時の対応の遅れや品質のばらつきが課題となっている。他社のコールセンタで,チャットボットを導入して効果が出ている事例があることから,A社はコールセンタへのチャットボットの導入を検討している。
A社は,チャットボットの開発・利用経験がないので,ITベンダの協力を得て開発する計画である。監査部は,コールセンタでのAIの利用は業務運営,顧客サービスなどに大きな影響を与える可能性があると考え,システム監査を実施することにした。しかし,チャットボット開発の監査経験がないので,社外のシステム監査人M氏に監査チームへ参画してもらい,助言を受けながら監査を実施することにした。
〔コールセンタの概要〕
コールセンタは,電話や電子メールを用いて,顧客からの問合せ対応やアフターフォローを行っている。コールセンタの運営は,着呼の自動振分け,顧客に関する情報照会,対応記録の一元管理,稼働状況に応じたオペレータへの着呼の割当て,通話録音などの機能をもつコールセンタシステムで支援されている。
〔チャットボット開発の概要〕
監査チームは,予備調査として,コールセンタとシステム部にヒアリングを行い,関係資料を閲覧した結果,次の情報を得た。
(1) チャットボットの機能
コールセンタとシステム部が協議して,オペレータを支援する機能の強化としてチャットボットを導入することとした。チャットボットは,AIを利用した音声認識と自然言語処理によって,対応中の顧客の発言の趣旨を解析し,オペレータに回答候補を提示する。
(2) 構想立案と概念実証
コールセンタとシステム部が協議した内容を構想立案書としてまとめ,次に,概念実証(以下,PoCという)の実施に当たりPoC計画書を作成した。
コールセンタは,コールセンタへ問合せのあった顧客の音声(以下,学習データという)とオペレータの回答音声(以下,教師データという)の1か月分を準備した。システム部は,学習データと教師データの全件をAIに学習させ,PoCの実施結果をPoC評価書としてまとめた。
(3) 要件定義以降の開発計画
システム部は,PoC評価書を踏まえて,ひとまず開発概要書を作成し,要件定義に向けた準備を進めている。一方,PoCの実施結果に一部想定外の状況が発生しているので,PoCを継続して実施する予定である。チャットボット開発の流れは図1のとおりであり,現在はPoC工程の途中の段階である。

図の説明テキスト
チャットボット開発の流れを示す図。構想立案、PoC、要件定義、設計、実装、テスト、本番移行、本番運用の各工程が順に矢印で示されている。本番運用は破線で囲まれている。PoCの工程に対して上から「現在の工程」という矢印が指している。
なお,開発概要書には,次のとおり記述されている。
① システム部が開発し,コールセンタはテスト工程で操作性などを確かめる。
② テスト工程では,学習データと教師データを3か月分に増やして学習させ,結果を評価し,想定した結果が得られた場合には本番移行が承認される。
③ 本番移行工程では時間が限られ,直前のテスト工程では結果が評価されることから,学習データと教師データの量を6か月分に増やして学習だけを行い,本番運用を開始する。
(4) オペレータ教育
開発概要書には,オペレータ教育について,“現行のマニュアルの中で操作方法が変更になる箇所だけを更新し,業務の繁閑を考慮しながらオペレータを教育する”と記述されている。
〔監査チームが想定したリスク〕
監査チームは,チャットボット開発のリスクを次のとおりまとめた。
(1) 構想立案工程のリスク
AIの利用は経営や業務へのリスクがある。導入目的や利用範囲について,経営会議などの審議を経て経営層が承認するプロセスが必要である。
(2) PoC工程のリスク
PoCの計画策定時に評価基準が不明確な場合には,実施結果の良否判断ができず,PoCの終了を判断できないリスクがある。また,評価結果が不明確な場合には開発計画が不確実になり,期待どおりのチャットボットを開発することができないリスクがある。そのため,PoCの計画策定では,実施の目的,結果の評価基準及び終了基準を定める必要がある。PoC工程実施後は,計画で定めた評価基準及び終了基準を満たしているかを明確に評価する必要がある。
(3) 学習と評価のリスク
チャットボットの学習では要求される品質を満たす学習データと教師データを選定,準備し,必要な各工程で学習させないと,チャットボットが適切でない回答をするリスクがある。学習後は,結果が正しいかどうかを評価する必要がある。
(4) オペレータ教育のリスク
オペレータ教育が不十分な場合にはAIが示した誤った結果をそのまま顧客に回答するリスクがある。AIが示す結果は常に正しいとは限らないので,結果の利用可否を人が判断する必要がある。チャットボットについても同様で,操作方法の変更だけでなく,結果の正しさや利用可否をオペレータ本人が判断すべきであることを教育する必要がある。その際,オペレータ教育の内容や実施計画の妥当性を事前に考慮することが重要である。
〔M氏の助言〕
監査チームは,想定したリスクを踏まえて作成した監査手続書について,M氏に助言を求めた。M氏の助言は次のとおりである。
(1) 監査手続としてAIに関する開発原則を確かめるだけでは不十分であり,追加の手続が必要である。
(2) 開発概要書を作成しており,PoCを継続実施する計画になっている。今後のPoCの評価が不明確な場合は開発が遅延するリスクがある。PoCの計画と実施についての監査手続が必要である。
(3) 開発概要書を見る限り,本番移行工程には問題がある。本番運用において期待効果が得られない可能性があるので,詳しく調査する必要がある。
(4) オペレータ教育について,教育内容や実施計画が不十分なので,詳しく調査する必要がある。
〔修正した監査手続書〕
監査チームはM氏の助言を踏まえて,表1のとおり監査手続書を修正した。

図の説明テキスト
表1 修正した監査手続書(抜粋)
| 項番 | 監査要点 | 監査手続 |
|---|---|---|
| (1) | AIに関する開発原則は明確か。 | 各種規定などを閲覧して,AIに関する開発原則を確かめる。 |
| AIの導入目的や利用範囲について,経営層が判断,承認しているか。 | ア | |
| 適用範囲の決定過程や利用部門の参画は適切か。 | 構想立案書を閲覧して,該当の記述や利用部門の開発への参画状況を確かめる。 | |
| (2) | PoCの計画と実施は適切に行われているか。 | 計画について,イ 実施について,ウ |
| (3) | 要求品質を満たした学習データと教師データを準備しているか。 | 構想立案書,PoC計画書,開発概要書を閲覧して,学習データと教師データの適切性の評価プロセスを確かめる。 |
| テスト,本番移行及び本番運用の各工程で学習と評価を考慮しているか。 | 構想立案書,開発概要書を閲覧して,テスト,本番移行及び本番運用の各工程でのデータの準備・学習・評価の計画を確かめる。 | |
| (4) | AIの特性を踏まえたオペレータ教育の内容を検討した上で,実施計画の妥当性を考慮しているか。 | 構想立案書,開発概要書を閲覧して,オペレータへの教育内容や実施計画の妥当性を確かめる。 |
設問と解答・解説
設問1
模範解答
経営会議などの議事録を閲覧し,経営層によって十分に審議され,承認されているかを確かめる。
採点基準
- 5点: 経営会議などの議事録を閲覧対象として適切に挙げ、経営層による審議や承認の事実を確認する手続が示されている。
- 3点: 経営層の承認を確認する意図は読み取れるが、閲覧対象(議事録など)の指定が不十分である。
- 0点: 経営層の承認を確認するための具体的な監査手続が示されていない。
- 5点: 閲覧対象(経営会議の議事録など)と確認内容(審議・承認されたこと)が明確に対応し、監査手続として過不足のない構造で記述されている。
- 3点: 閲覧対象と確認内容の記載はあるが、両者の論理的な対応関係がやや不明確である。
- 0点: 監査手続としての「閲覧対象」と「確認内容」の構造を満たしていない。
解説
表1の監査要点「AIの導入目的や利用範囲について,経営層が判断,承認しているか。」に対する監査手続(ア)を解答する設問です。
監査手続は、監査要点を確認するために「何を閲覧・確認して」「何を確かめるか」を具体的に記述する必要があります。
〔監査チームが想定したリスク〕の「(1) 構想立案工程のリスク」には、「導入目的や利用範囲について,経営会議などの審議を経て経営層が承認するプロセスが必要である」と記述されています。
したがって、経営層が判断し承認した証拠となる経営会議などの議事録を閲覧対象とし、そこで審議・承認されている事実を確かめる手続とします。
高得点のポイント
- 閲覧対象として「経営会議などの議事録」を明記していること
- 確認内容として「経営層によって十分に審議され,承認されているか」を明記していること
- 「〜を閲覧し、〜を確かめる」という監査手続の形式に沿って論理的に記述していること
模範解答
PoC計画書を閲覧し,目的,結果の評価基準,終了基準の記述があることを確かめる。
採点基準
- 5点: PoC計画書を閲覧対象とし、目的、結果の評価基準、終了基準が定められていることを確認する手続が示されている。
- 3点: 閲覧対象(PoC計画書)は適切であるが、確認すべき要素(目的、評価基準、終了基準)の一部が欠けている。
- 0点: PoCの計画に関する適切な監査手続が示されていない。
- 5点: 閲覧対象(PoC計画書)と確認内容(目的、評価基準、終了基準の記述)が明確に対応し、監査手続として過不足のない構造で記述されている。
- 3点: 閲覧対象と確認内容の記載はあるが、監査手続としての記述の論理性がやや不足している。
- 0点: 監査手続としての「閲覧対象」と「確認内容」の構造を満たしていない。
解説
表1の監査要点「PoCの計画と実施は適切に行われているか。」のうち、「計画について」(イ)の監査手続を解答する設問です。
〔監査チームが想定したリスク〕の「(2) PoC工程のリスク」には、「PoCの計画策定では,実施の目的,結果の評価基準及び終了基準を定める必要がある」と記述されています。
〔チャットボット開発の概要〕の「(2) 構想立案と概念実証」には、PoCの実施に当たりPoC計画書を作成したことが記されています。
したがって、計画の適切性を確かめるための監査手続としては、PoC計画書を閲覧し、実施の目的、結果の評価基準、終了基準の記述があるかを確かめる手続とします。
高得点のポイント
- 閲覧対象として「PoC計画書」を明記していること
- 確認内容として「目的、結果の評価基準、終了基準」が定められていることを明記していること
- 「〜を閲覧し、〜を確かめる」という監査手続の形式で論理的に記述していること
模範解答
PoC評価書を閲覧し,結果の評価や終了の判断についての記述を確かめる。
採点基準
- 5点: PoC評価書を閲覧対象とし、結果の評価や終了の判断が行われていることを確認する手続が的確に示されている。
- 3点: 閲覧対象(PoC評価書)は適切であるが、確認内容(結果の評価や終了の判断)の記述が不十分である。
- 0点: PoCの実施に関する適切な監査手続が示されていない。
- 5点: 閲覧対象(PoC評価書)と確認内容(結果の評価や終了の判断)が明確に対応し、監査手続として過不足のない構造で記述されている。
- 3点: 閲覧対象と確認内容の記載はあるが、監査手続としての記述の論理性がやや不足している。
- 0点: 監査手続としての「閲覧対象」と「確認内容」の構造を満たしていない。
解説
表1の監査要点「PoCの計画と実施は適切に行われているか。」のうち、「実施について」(ウ)の監査手続を解答する設問です。
〔監査チームが想定したリスク〕の「(2) PoC工程のリスク」には、「PoC工程実施後は,計画で定めた評価基準及び終了基準を満たしているかを明確に評価する必要がある」と記述されています。
〔チャットボット開発の概要〕の「(2) 構想立案と概念実証」には、システム部が「PoCの実施結果をPoC評価書としてまとめた」と記されています。
したがって、実施の適切性を確かめるための監査手続としては、PoC評価書を閲覧し、計画で定めた基準に基づく結果の評価や終了の判断が記述されているかを確かめる手続とします。
高得点のポイント
- 閲覧対象として「PoC評価書」を明記していること
- 確認内容として「結果の評価」や「終了の判断」に関する記述があることを明記していること
- 「〜を閲覧し、〜を確かめる」という監査手続の形式で論理的に記述していること
設問3
模範解答
学習後に結果を評価しないで本番移行してしまうという問題
採点基準
- 5点: 本番運用開始前の学習において、「結果を評価しない(学習のみ行う)」という問題を正確に把握し記述している。
- 3点: 本番移行の問題点に触れているが、学習データ自体の評価と学習結果の評価を取り違えているなど、本質的な問題の理解がやや不正確である。
- 0点: 本番移行工程における学習結果の評価漏れという問題点を指摘できていない。
- 5点: 「学習後に評価しない」「そのまま本番運用・移行する」という事実関係が端的に示され、期待効果が得られない原因として説得力がある。
- 3点: 学習結果の評価が不足している点には触れているが、本番移行・運用開始との関連性がやや曖昧である。
- 0点: 問題の根本原因を適切に考察して記述できていない。
解説
M氏が助言(3)において、開発概要書に記載された本番移行工程の問題として指摘した内容を解答する設問です。
〔チャットボット開発の概要〕の「(3) 要件定義以降の開発計画」を見ると、開発概要書には本番移行工程について「学習データと教師データの量を6か月分に増やして学習だけを行い,本番運用を開始する」(③)と記述されています。
〔監査チームが想定したリスク〕の「(3) 学習と評価のリスク」には、「学習後は,結果が正しいかどうかを評価する必要がある」と明記されています。
すなわち、テスト工程では結果を評価している(②)のに対し、本番移行工程ではデータ量を増やして再学習させたにもかかわらず、その結果を評価せずに本番移行・本番運用を開始してしまうことが問題です。学習結果を評価しなければ、AIが適切な回答をするかどうかが確認できず、期待効果が得られない可能性があります。
高得点のポイント
- 学習データ・教師データを増やして「学習」させた後に、その「結果の評価」をしていないことを指摘できていること
- データの評価ではなく、「学習結果の評価」であることを明確にしていること(これを取り違えないことが重要です)
- 評価を行わずに「本番移行(または本番運用)してしまう」という事実を端的にまとめていること
設問3は,正答率が平均的であった。学習データ,教師データの評価と,学習結果の評価を取り違えたと思われる解答が散見された。AIの学習と結果評価のプロセスでは,データを増やして学習させ,結果を評価し,想定した結果が得られた場合に本番移行するということに気付いてほしい。
設問4
模範解答
AIの特性の教育や,結果の正しさや利用可否を判断する教育の予定がないから
採点基準
- 5点: AIの特性に関する教育、および結果の正しさや利用可否を判断するための教育が予定されていないことを正確に記述している。
- 3点: 判断の必要性に関する教育の不足には触れているが、AIの特性についての言及が漏れているなど、内容が部分的に不足している。
- 0点: 教育内容が不十分である根本的な理由(AIの特性や結果判断の教育不足)を指摘できていない。
- 5点: AIの特性(AIが示す結果は常に正しいとは限らない)の教育と、結果の正しさや利用可否をオペレータ本人が判断する教育が予定されていないことを、教育内容が不十分な理由として述べている。
- 3点: 二つの教育のうち一方だけを述べている、または「教育が足りない」など理由が抽象的である。
- 0点: 教育内容の不足の理由になっていない。
解説
M氏が助言(4)において、オペレータ教育の内容が不十分と考えた理由を解答する設問です。
〔チャットボット開発の概要〕の「(4) オペレータ教育」において、開発概要書には「現行のマニュアルの中で操作方法が変更になる箇所だけを更新し,業務の繁閑を考慮しながらオペレータを教育する」と記述されています。
一方、〔監査チームが想定したリスク〕の「(4) オペレータ教育のリスク」には、「AIが示す結果は常に正しいとは限らない」というAIの特性を挙げ、「操作方法の変更だけでなく,結果の正しさや利用可否をオペレータ本人が判断すべきであることを教育する必要がある」と記述されています。
したがって、開発概要書の計画では「操作方法」の教育しか予定されておらず、AIの特性を踏まえた上で結果の妥当性や利用可否を判断するための教育が含まれていないことが、内容が不十分である理由となります。
高得点のポイント
- 開発概要書の計画には「AIの特性」に関する教育が含まれていないことを指摘できていること
- AIの示した「結果の正しさや利用可否を判断する」ための教育が予定されていないことを指摘できていること
- 操作方法の教育だけでは不十分であり、人間が結果を判断する必要があるという観点が含まれていること
設問4は,正答率がやや低かった。AIの特性を記述した解答は少なかった。AIが示す結果が常に正しいとは限らず,その結果の正しさや利用可否を人間が判断すべきであることを理解するために,AIの特性を踏まえた教育が必要であることに気付いてほしい。